Topic 第3話 高校時代の乗換え戦争 (99/11/14)

 私が智辯学園高校に通っていた頃、土曜日は電車の乗り換えで大変苦労しました。

 智辯学園高校は奈良県五條市にあり、私は和歌山県橋本市の自宅から南海高野線とJR和歌山線を乗り継いで通学していたんですが、何と言っても大田舎(!?)で電車の本数が少なく、さらに南海とJRの列車連絡が最悪だったのです。土曜日の帰りは特にそれがひどく、学校が午後1時に終わって帰宅したらなんと午後3時15分。わずか5駅(合計乗車時間17分)を乗るのになぜ2時間以上もかかったのでしょうか。1991年当時のダイヤを少し整理してみましょう。

JR和歌山線下り
五條(14時12分50秒発)−大和二見−隅田−下兵庫−橋本(14時25分40秒着)

南海高野線下り
橋本(14時26分00秒発)−紀伊清水(自宅の最寄駅)
橋本(15時01分00秒発)−紀伊清水

 まず、JR和歌山線の方は五條13時11分発もありますが、学校から五條駅までの距離が遠いので絶対無理。その次の電車は1時間後の14時12分発になってしまうというわけです。

 そして極めつけは橋本での連絡! JRから南海への乗り換えは階段を昇り降りしなければならず、全速力で走っても約20秒かかります。したがって、JRが14時25分40秒に定着しても26分00秒発の南海に乗るためにはギリギリということになり、少しでもJRの方が遅れると絶望的になってしまうのです。

 それでもってまたJRが遅れることの多いこと多いこと! 結局、全速力の階段昇り降りも実らず汗だくになりながら発車直後の列車後部の「急行」看板を見送る、または橋本駅進入中のJR車内から南海が出発していくところをハンカチを噛みながら見送るということを繰り返していました。南海の次発が15時01分発ということで帰りが15時を過ぎてしまったというわけです。

 そのことを知った私の父が、”あまりにも殺生な…”ということで、元南海(1982年定年退職)のコネを活かして、南海の出発を少し待ってもらうよう橋本駅長に頼み込んだのですが、JRの度重なる延着を理由に交渉は難航し、JR定着時のみ協力するということに留まりました。

 そこで問題になってくるのがJRの延着なのですが、これは様々な要因があります。以下にまとめてみました。

・五條駅到着時点ですでに1分くらい遅れていることがある(これは論外)。
・五條−大和二見→直線が多いのに50km/hくらいまでしか加速しない運転士がいる。
・大和二見停車中→車掌が電車を降りて切符を集める。降りる人が多く(30人くらい)、しかも切符を持っておらず千円札を出して清算する人がいるため時間を取られる。
・大和二見−隅田→大和二見出発後すぐの直線区間での加速不足と、S字カーブ通過後の加速をしないため、自然減速が激しくて結果的に20秒くらい延着する。
・隅田−下兵庫→直線にもかかわらず70km/hまでしか加速せず、15秒遅れることがある。80km/hまでは出して欲しいところ。
・下兵庫停車中→ここでも車掌が切符を集める。降りる人は少ないが、不正乗車の人がいて2分停車したこともある。
・下兵庫−橋本→もともとダイヤに余裕がないのに直線での加速不足、さらに場内注意信号機が駅の約600mも手前にあるためノロノロ運転するとやたらと時間を食う(ただし注意信号機をなんと80km/hで走り抜けたある意味私達に協力的、ある意味無謀な運転士もいましたが…)。

 要するに電車の遅れのことを1%も頭に入れていない運転士と車掌の連携プレーで、延着がどんどん増幅していったというわけです。平均して橋本約1分延着でした。もちろん安全運転が第一ではありますが、何と言っても田舎だけに他社線との連絡のことも少しは考えて欲しかったなと思っています。

 1992年11月、南海がダイヤ改正を行ったことで問題の電車が14時28分発になったこと、さらに第2土曜休日に伴う他の土曜日での午後授業導入よって、この壮絶な乗換え戦争は事実上ピリオドを打たれました。

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(C)1999-2006 Train Topics


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