
| Topic 第28話 就職活動で痛感したことPart1 (01/08/11) バブルが崩壊し、不景気が叫ばれるようになってから早10年。就職活動も年々激化して、学歴重視から人物重視へと様変わりしています。しかも就職協定の廃止によって、就職活動の開始時期は早まる一方で、学生も早い段階からの積極的な活動が求められるようになりました。 私が就職活動をしたのは大学4回生だった1997年ですが、この年は不思議なことにイレギュラー的に求人の多い年でした。その意味では私はラッキーだったのですが、それでも就職活動では本当に悩みました。「私を採用してくれる会社があるのだろうか」と。 私は大学2回生から3回生まで能開センター(ワオコーポレーション)という比較的大手の学習塾で非常勤講師をしていました。勉強を教えることが好きで、生徒と一緒に自分も人間的に成長したいという気持ちから、アルバイトは塾講師しかないと考えたからです。非常勤講師といっても大手塾ですから、先生になるために選考試験を受けました。1次では筆記試験と面接、2次では模擬授業をして、厳しい試験をパスしました。このとき合格へと導いた原動力は、先生になりたいという意欲と、お金儲けでなく自分も成長したいと言うありのままの前向きな姿勢が評価されたものと自負しております。先生になった後も、2年目には中学受験のクラスを任され、いろいろしんどいこともありましたが、本当に良い経験をさせてもらったと思います。 そういうわけで人間力という意味では、自分自身それなりにある程度の自信がありました。4回生になって就職活動があるので塾講師との両立は無理と判断し、塾講師をやめました。それと同時に、それまでの2年間塾講師に明け暮れて自分のゆとりの時間を全く持てていなかった分を取り戻すかのごとく、就職活動を目前に控えつつ伸び伸びと過ごしました。遅れていた専門の勉強をやったり、ゆっくり体を休めたり、読書をしたり…。 塾講師をやめる頃、私はある会社に資料請求をしていました。それはJR西日本でした。JR西日本は本命ではなかったのですが、鉄道会社ということでやはり候補の一つになっていました。そして3月下旬のある日、JR西日本電気部のNさんから電話があり、「会社について詳しく説明したい」と言うことで会うことになりました。JR大阪駅の噴水広場近くの交番で待ち合わせることになり、私は就職活動の第一歩として期待と不安を抱きつつ、交番前で待っていました。 ところが、電気部のNさんらしい人は約束の時間を過ぎても現れず、私は結局説明を聞けないまま帰ってきてしまったのです。家に帰ると、そのNさんから電話があり、実はお互いに見つけられなかったか行き違いになっていたことが分かりました。電気部のNさんは、「4月の中頃、大学のほうに行かせてもらうんで、そのときに再度待ち合わせましょう」と言い、その日まで持ち越しとなりました。 ささいなすれ違いだったんですが、これが大きな挫折を味合う苦しみへの伏線となったのです。 |
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